渋谷のタイ料理屋さん「コンロウ」でグリーンカレーとガイヤーンをお兄さんたちの絶賛を聞きながら食べた

*この記事に画像なんて気の利いたものはありません。

 最近は渋谷のあたりをうろつく仕事をしています。久しぶりに日差しのある日になりまして、これはタイ料理日和だな! と思いましたので食べてきました。

・場所

http://s.tabelog.com/tokyo/A1303/A130301/13128650/dtlmap/

 目印は交番かなと思って歩いていたら、お巡りさんとうっかり目があい、そのまま見つめあいながら道を渡る羽目になりました。お腹が空いていたので犯罪者みたいな目をしているしれない、呼び止められるかな、とびくびくしながらも無事道を渡り切ることができ、ネオンライトの看板をくぐりました。看板は地上ですが、店舗は地下階にあります。

・混み具合、料理の速さ

 そこそこ綺麗な店内でした。二人用テーブル席などが空いていましたが、カウンターに通されました。お昼なので、回転率をよくするためでしょうね。

 隣に座っていたおにいさん二人組がうまいうまいと絶賛して食べているものが美味しそうだったので、同じものを頼みました。グリーンカレーガイヤーンのセットランチ。画像なんて気の利いたものはありません。

 注文してからは約五分で出てきました。平日仕事のお昼ご飯で、この速さはありがたいです。

・料理の美味しさ

 おいしかったです。

 どれだけ美味しかったかというと、隣のお兄さんたちが

隣に座っているお兄さん「このソース(ガイヤーンにつけるやつ)うまいな」

隣の隣に座っているお兄さん「うまいね。なに入っているんだろう」

隣に座っているお兄さん「わかんないけれどうまいよ」

 って絶賛するくらいおいしかったです。隣でああもうまいうまい言いながら食べられると、全くの他人であるこっちまで美味しく感じられてきます。ありがとうお兄さん。

 グリーンカレーにはカボチャやブロッコリーが入っていてマイルドで、ガイヤーン(タイ風唐揚げ)のソースは甘辛酸っぱいというタイ料理特有のソースで、二品それぞれしっかりおいしくて満足でした。

 ひとつだけいうなら、辛さが足りなかったかもしれません。私は満足でしたけれども、刺激を求める人には足りないかも。なので、タイ料理初心者とか初めての人に向いているお店だと思いました。

痔と転職

 痔のために転職することにしたので、経緯を書きます。自営業の難しさとかもすこし。

 

 

・私と痔

以下時系列

198x年 親族の八割が痔持ちという痔家系に生まれる

2008年 強烈にお腹を壊し、以降消化器系の不調が続くようになる

2009年 親戚の会社(非法人)に入社

2011年 痛みにたえかねて肛門科へ行く。「痔です。手術しましょうね」とのこと。お金がなかったので保留。

2014年 勤め始めて5年、この仕事は病気に行きにくくて辛いなぁ、と思ったところで有給がないことにようやく気づく。年内に退職予定

 

・有給と痔

 お金が貯まったので痔でも治そうかなと、カジュアルな気持ちで痔主からの脱却を計りました。手術は日帰りでいいらしいのも気軽さを感じましたので、下半身の軽いリフォームみたいな気分だったのです。

 ですけれども、剛毛が生えたチキンハートなので、術後と翌日くらいは休みたいと思っていました。出来れば土日と絡めて、4日くらい安静にしていたいと。そのようにして休むと、私の職場には有給というものがなく、休めば休んだだけ差っ引くので、2日の休みでおよそ2万円の減収です。

 つまり、かかるお金は手術代の約5万円と、働けない日の2万円。金額だけで言えば問題はないのですが、ふと、こんな計算をしなければならない今の状況を情けなく思ったのです。こんな歳なのに、有給がない。こんな歳なのに自分の身体のことをメンテナンス出来ない。情けなく、恥ずかしいことだと思いました。

 

・人生と痔

 有給が取れないのは、親戚が経営している会社(法人ではない)に勤めているからで、そもそも有給が無いからです。雇用保険社会保険もつける気はない、とのこと。そう言われれば黙るしかありません。その分それなりなお給料を貰っていましたし。

 ですが、もし、例えば怪我や病気によって休まざるを得なくなった場合、私の収入はその瞬間からゼロ。そうなると生活が出来ませんし、身体も動かないのでどうしようもなくなり、お先真っ暗となります。

 身動きが取れなくなる傷病を唐突に負う、ということだけに着目するのではなく、持病についても考えました。持病って言ってもすごいの持っているわけではなくて、痔なんですけれどね。痔は治療しても再発することが多いらしいです。となると、術後の通院も度々したい。しかし、有給が無いと通院しにくい……。

 以上2点を考えますと、有給が取れないということがどれほど精神と身体の負担になるか分かったのです。今まで深刻に自分の身体のことを考えなかったので、気づきませんでした。世間知らずなのも悪かったのでしょう。大学に行って、学校の先生になろうとしていたので、普通の会社勤めというものすら知りませんでした。そんな世間知らずが、『親戚が経営する会社に勤めるのは、経営者側に立たされるということ』だと気づくのに、5年かかったということです。

 

・これからの痔

 まず転職をして、有給というものを得てみたいと思います。現状で2つの会社から内定をいただきましたので、年内には新しいお勤め先で働いているはずです。減収への不安と有給への希望で揺れている最中です。

同棲三ヶ月目で実家に帰られたけれどお腹はすいてしまったのでタイ料理を食べてきた

まさか自分が「実家に帰らせていただきます」と言われる人生を送ることになるとは思っていませんでした。

ここ最近は歌舞伎町付近で仕事をしています。およそ朝から夕方までいるので、それなりの時間を過ごしているのですが、慣れる気がしません。昼からキャバクラに行く人間がいるから営業しているんだと思われるお店とキャバ嬢さんたち、区役所前で見かける白ジャケットのいかにも普通の仕事じゃないいかついおっちゃん、メイク(フォトショ含)やセット前の盛れていないホストのお兄さんたち、そういう方々の邪魔にならないよう、ぶつからないように歩いています。怖いし。とにかく歩いている人間がそういう人間です。「メンナクで見た!」「小悪魔agehaで見た!」「典型的な……その……」と、田舎者の気分は高揚したり震え上がったりします。怖いです。『母子家庭』や『年金族』という、どう考えても羽振りが良くはなさそうな名前のスナックがある沖縄とは人相も華やかさも違う。ホテルも多いし、金!暴力!セックス!を感じますね。

そんな歌舞伎町で、なんとも言えぬ悪臭をはらむ風に吹かれることがたびたびあり、帰ってきては妙な匂いがこびりついた鼻の中をこっそり必死こいてぶぁぁぁぉぉぉぁぁぉっとホースの水抜きよろしく噴き出す様子に愛想をつかされ、実家に帰られたんだとは思いたくありません。今朝もすこし泣きました。うっうっ。

ともかくそんなんでもお腹は減るので、靖国通り沿い、新宿区役所交差点ちかくのタイ料理屋さん、ゲウチャイに行きました。http://s.tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13128092/

頼んだのは、鳥ダシ汁ビーフンと鳥肉のバジル炒めご飯(小)。それにデザートと食後の飲み物が付いてきました。

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食べた後に撮りました。美味しかったです。

画像ではなにも伝わらないと思いますので説明すると、汁ビーフンっていうのがいわゆるタイラーメンで、鳥と野菜のまろやかなコクにレモンやパクチーなどで酸味と香りをプラスしたスープに、ビーフンが投入されているものです。あったかい食べ物ですが、油っぽさがないのでさっぱりと食べられます。

鳥肉とバジル炒めはいわゆるガパオですね。目玉焼きは乗っていませんでした。目玉焼きにナンプラーをかけて食べるのが好きなんですが、セットの小ご飯なのでそこまで贅沢は言いません。

デザートはココナッツミルクとタルト生地みたいなのが層になっているものでした。タイ料理屋さんでよくあるオレンジ一切れとか、タピオカinココナッツミルクのあれじゃなかったのでちょっとびっくりしました。美味しかったです。なんというデザートなのか知りませんのでかろうじて写っている画像で適当に判断してください。食後の飲み物はレモングラスティー。爽やかな香りでした。

計1026円。ランチとしては高めですが、味と量からすると納得と満足の値段です。入ったのが十二時過ぎとお昼真っ盛りの時間だったのに、両隣が空いている一人席に座れたのもこの値段のおかげかなと思いました。お昼くらいはリラックスしたいという方にはオススメです。まだしばらくは歌舞伎町をうろうろするので、また行こうと思います。

でも出来れば次は恋人と行きたいです……。

著:東小雪さんの『なかったことにしたくない 実父から性虐待を受けた私の告白』感想

 東小雪さんの『なかったことにしたくない』を読んだので、その感想。

なかったことにしたくない 実父から性虐待を受けた私の告白

なかったことにしたくない 実父から性虐待を受けた私の告白

 

 Kindle版もあります。紙の本の発売日と同時に出したみたいで、デリケートな問題を扱う本として、いい出版方法だと思う。

 

概要
東さんの幼少から思春期・宝塚時代
精神的に不安定な頃・性虐待の記憶と奮闘記
同性結婚式、自分はどのように生きて行くか 

一言感想「しんどい本だった」

 

以下詳細

宝塚時代

この本はセクシュアリティと性虐待について重点的に書かれている本だと思っていたら、予想外の濃さがあった。なにかというと、宝塚の内情。細やかに書かれていて、それがなかなかエグい。華やかな世界の裏側の努力、という壮絶さではなくてね。なんていうか、軍隊のシゴキを思わせるというか、上下関係を保つための『儀式』的な行為が異様に思えた。これ、常人が他人に出来ることじゃないよ。こんなことを他人にしたら、受けた人だけじゃなくて常人だって離れていくから、集団として成り立たなくなるし。でもこれ、出来てしまうのは「宝塚という場所から離れられない」からなんだと思う。精神的、身体的に被害を受ける場所だけれど、ここから離れられないから被害を受け続けるしかない、って環境。
こうして書き出してみると、宝塚で行われていることって、子どもを支配したい親がするひどい無茶振りと一緒に見える。「離れられない環境で、とにかく失敗をみつけて、謝らせて、上下関係を明確にして、常に顔色を伺わせるようにする」っていうの。これ、家庭内でやれば完璧に精神的虐待だし、他人にやればパワハラ、最悪傷害にならないのかな。それくらい大事だと思う。そりゃ、髪の毛が大量に落ちていたら不快だし排水が詰まっちゃうから拾うべきだけれど、「お風呂を使った後、シャワーヘッドまで外して水をきる」っていう掃除は、次使う人がどう得をするの? 難癖つけて謝らせたいためだけの行為に見えなくて、気分が悪くなったし、これがまかり通る環境に嫌悪感が湧いたよ。
それと、先輩が後輩を夜遅く、時には朝方まで叱りつけるって、本当に馬鹿馬鹿しいことだと思った。だって、夜更かししたあとの身体ってコントロールが効かなくなるし、一時間あれば10分の曲を数回は聞けるし、発声練習をしたあとに練習曲を歌えるし、4小節のワンフレーズをじっくりやっても十回は練習出来るよ。と思うと、叱る方と叱られる方、お互いの時間が勿体無さすぎる。読んでいてうんざりしましたよ。

 

それから、性的虐待の被害

二重三重の要素でキツくなってくる内容だった。要素のすべてが「東さんの苦痛を無視」していて、それが組み合わさることで最悪の状態が続いていた。
まず、東さんのお父さん。性的虐待をした最低の父親だけれど、東さんに対して「自然に口封じ」したあたりで、非常に頭の良い方だったように感じた。世渡りというか、人当たりがいいというかね。誰から見ても「立派な人」で、性的虐待を受けているということを理解出来ない東さんにとっても「誇らしくて優しいお父さん」だったから、東さんはお父さんがお風呂場でしてくることを「黙らなくちゃいけない」と思っていた。
なんていうか、人として最低という言葉しか出てこない。「お父さんは立派で優しいんだ」と思っている子どもにつけ込んで性的虐待をして、且つ日常生活で優しくし続けて、「お父さんは優しいんだ、だからお父さんのしていることは変じゃないんだ」って思わせる力って、詐欺の才能に満ち溢れた人じゃないと難しいと思う。騙せる力もそうだし、騙し続けられる胆力もね。性欲の捌け口として娘を使い続けられる人間って、頭のどこかが普通の人と違うよね。自分の子どもで性欲を満たして、それを続けられるのって、怖すぎる。

で、東さんのお母さん(と祖母さん)も酷い。東さんが父親から性的虐待を受けるという辛い思いをしているのに、母や祖母はそれを無視して、「なんの問題もない家族」をするの。読んで情景を想像して、ぞっとした。東さんが小学生二年の頃には挿入があったみたいだけれど、まだ身体が小さいから父親に挿入されて泣き叫ばないはずないのに、台所にいる母親と祖母は無視してご飯を作る。お風呂場でおぞましい虐待が行われていて、台所はなにごともないように炊事が進む。
多分、母親は始めの頃から気づいていたんじゃないかな。そう思う理由は三つ。
1、たとえ父親が側にいたとしても、目の届かないところで子どもがぎゃんぎゃん泣いているのに気にならず、見に行かない母親はいないのでは
2、部屋の隅で子どもの様子がおかしくなっていたのに、気にかけないのはおかしい。小学二年生なら挿入された後に普通に歩けないのでは
3、小学二年生の膣に挿入すればほぼ確実に裂けるだろうし、そうすると下着に血液が付着する。それに気づかないものか

どれか一つでも気づけばなにがあったのか気にかかるだろうし、二つに気づけば「なにかがあったことを確信する、起こったことを把握して確信しようとする」だろうし、三つ気づけば「誰と一緒にいる時になにがあったか」分かると思う。だって、自分の娘の様子がおかしいんだからね。
で、何度も行われていたということは、最初の一日目で全部気づかなくても、二回目、三回目も様子がおかしかったり痕跡があるはずなんだから、気づくはず。
気づいていて放置していたなら、東さんのお母さんは鬼だし、気づかなかったなら、人の親に向いていなかったんだと思う。

 


そして、東さんの今とこれから

同性結婚式とか、プライドパレードとか、素敵な思い出をひろこさんと作って行っているご様子。小雪さんとひろこさんが試行錯誤しながら色々やってみているの楽しそうだなぁ、楽しいんだろうなぁと思った。プライドパレードの写真に写っているみなさんの笑顔が眩しかったし、同性結婚式の写真、たいへんお綺麗でした。

この同性結婚式のお話、好きです。女性カップルなのですが、結婚式が出来ますか?と尋ねた時、ディズニーさんの最初の対応は「どちらかが男性の衣装の着用でならOK」っていうもので、それは同性結婚式で求めていることと違うなぁ……と感じたんだけれど、一週間かけてディズニーさん内できちんと確認して、「結婚式を挙げていただけます」と案内、それから最初の対応をきちんと謝罪していて、その姿勢が丁寧ですごくいいなぁと思った。きっと結婚式本番もスタッフさんたちはいい対応をしたんじゃないかなぁ。(なんでもオープンにする小雪さんが問題点を書いていないことから推測する)読んで、小雪さんが結婚式をとても幸せに、目一杯楽しんだことが伝わってきたので、楽しくなりました。末長くお幸せにいて欲しいです。

 

 感想の総括

正直にいうと、たくさんの人には勧められない本だと思う。というのも、私はこの本を「同性結婚式をした東小雪さんの本」だと思って購入したのだけれど、同性結婚式よりも宝塚のエグい内部事情、薬物依存、常軌を逸した東さんのご両親、そういうお話が中心だから、非常に重たかった。いや、そもそも父親からの性的虐待を「なかったことにしたくない」という主旨の本だとは分かっていたんですが、こう、予想をはるかに越えたキツさでした……。かなりキツくて一気には読めなかった。思考が立ち止まるっていうかな。たくさんの人から尊敬される東さんのお父さんと、家庭的なお母さんと、性的虐待をされる東さんが頭に浮かぶと、この歪んだ家庭が成立していたことに混乱して、要因を考えてしまうんだけれど、全然理解出来ないんだよね。ただもう、東さんがすべてを我慢していたから成り立っていただけで、でもその家庭環境って常人じゃ耐えられないことで、東さんよく生きてこられたなぁと思う。そんな感想をもってしまうくらい陰惨だった。

だから、この本を読んでみてってお勧め出来るのは、「こういう話に理解がまったく無い人」か、もしくは「耐性がある人」か、はっきりとは勧めにくいけれど「こういう生育歴だった可能性があるけれどはっきりとは分からない、でもとにかく生きにくい人(自衛本能のため記憶が埋れている人、参考書的に読みたい人)」かな……。常人の感覚で読んで理解しようとはしない方がいいです。
あと、とても良いなぁと思ったのは、この本はKindleでも買えるってこと。何らかの解答や救いを求めてこの本を買う人って確実にいると思うんだけれど、そういう家庭環境の人の家族にこの本を見られたらどうなるか、ってことを想像するだけでも怖い。東さんのご両親は、東さんが「お父さんに入浴を誘う娘が出てくるCMソング」を歌うだけでも激昂したからね。自分がお風呂場で性的虐待したり、気づかないふりしていたくせにね。そんな感じに、家族からなんらかの良くない反応が起こる可能性があるから買えないって人でも、個人でスマートフォンなどを持っていたらこっそり買えます。というか、そういう可能性を考えてKindleでも出したのでは無いかなぁと思っています。AndroidでもiPhoneでもKindleアプリがあります。AmazonアカウントをKindleに登録して、Amazonのギフトカードを登録すれば、クレジット登録なしでダウンロードできますよ。マーク機能が思った以上に使いやすかったし、お勧めです。

 

しっかし辛い本だった。次は幸せな話がたくさんある本を読みたいなぁ……。

 

Not All MenとYes All Womenを調べた

ソーシャルメディア主役に―米加州の銃乱射事件 http://on.wsj.com/RrdPXN

この事件から広がり始めた、#NotAllMenと#YesAllWomenの話。

この間あったカリフォルニアの銃乱射事件から、#YesAllWomenというハッシュタグが盛り上がっているようなので、色々読んでみた。

かいつまむと「すべての女性が男性からの性的加害に怯えている」という趣旨のハッシュタグだそうで。

どうしてこんなこと言い始めたのかっていうと、銃乱射事件の犯行動機が「俺を無視した女性たちに報復したい」だったから。で、本当に無差別にこんなことをしでかしたので、女性は震え上がっていると。

俺がモテないのは女が悪い! とか言えてしまう性格のせいで彼女出来なかったんだよ……と思ったりしたけれど、それは横に置いておく。彼の問題はジェンダーにまつわるものだけではないと思うので。

気になるのは、いくつかの記事で

YesAllWomenとNotAllMenが起こった順番の認識が逆転していることと、NotAllMenはYesAllWomenのカウンターアクションのように扱われていること。

NotAllMenはこの事件の前からよく言われていたし、YAW(頭文字だけとって略します)に対するカウンターでもなんでもなく、これは男性への皮肉に使われる言葉。

このNAM(略します)が生まれた経緯を非常に簡単に例えると、

女性「この間痴漢にあって云々」

男性「すべての男性がそうじゃないよ!(Not All Men‼︎)」

女性「はい?」

って感じ。大多数男性の弁解をされても、そもそもすべての男性が痴漢だと思っている女性なんていないし、そう言われてもだからなに?としか言いようがない。対策でもなんでもなく、男のための男による弁解だから。

つまり、被害にあった女性からしたら、NotAllMenという言葉にはなんの意味もない。

で、被害にあったうえにこんな意味のない言葉を放たれるとウンザリするよねー、っていうことで、被害女性から一部男性に対する皮肉として、NotAllMenという言葉が出来た。

ここまで書いて、じゃあ男性からNotAllMenと言われないようにするにはどうしたらいいか考えたんですけれど、現時点では「男性のいるところで性被害の話をしない」以上の対策はなさそうかな……。NAMにいい加減ウンザリしたから言い方を変えたYAWという言葉が出来たのかもな、とも思った。